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仏塚古墳 〈松尾道沿い〉
法隆寺の裏山をこえた谷あいの水田の中に残る古墳です。周囲は削られていますが、昭和51年の発掘調査の結果、一辺約23mの方墳で、6世紀末築造と推定されています。
内部はすでに盗掘を受けていますが、横穴式で、石室には亀甲型陶館が置かれていたとみられ、副葬品では、縄文・弥生の土器、古墳期の馬具・耳環(イヤリング)・刀子などが出土しました。また、飛鳥~平安期の土師器・須恵器・土馬、中世の小金銅仏や塑像片・花瓶や六器なども見つかったことから、中世になって石室が仏堂として再利用され、仏教の儀式が行われていたとみなされ、「仏塚」との名がついたとされています。近くにはその成立が鎌倉時代と考えられている極楽寺があり、それとの関係が指摘されています。
なお、法隆寺の北方にひろがる小丘陵には、6世紀から7世紀にかけての古墳が点在しています。7世紀と言えばまさに聖徳太子が斑鳩へ進出し、その後約半世紀にわたり上宮王家による活躍があったことから、斑鳩宮との造営時期が近接する上、斑鳩宮を臨む立地であることなどの点から、仏塚古墳の被葬者と上宮王家との関連を指摘する意見もあります。
内部はすでに盗掘を受けていますが、横穴式で、石室には亀甲型陶館が置かれていたとみられ、副葬品では、縄文・弥生の土器、古墳期の馬具・耳環(イヤリング)・刀子などが出土しました。また、飛鳥~平安期の土師器・須恵器・土馬、中世の小金銅仏や塑像片・花瓶や六器なども見つかったことから、中世になって石室が仏堂として再利用され、仏教の儀式が行われていたとみなされ、「仏塚」との名がついたとされています。近くにはその成立が鎌倉時代と考えられている極楽寺があり、それとの関係が指摘されています。
なお、法隆寺の北方にひろがる小丘陵には、6世紀から7世紀にかけての古墳が点在しています。7世紀と言えばまさに聖徳太子が斑鳩へ進出し、その後約半世紀にわたり上宮王家による活躍があったことから、斑鳩宮との造営時期が近接する上、斑鳩宮を臨む立地であることなどの点から、仏塚古墳の被葬者と上宮王家との関連を指摘する意見もあります。
基本情報
- 所在地
- 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺3011番地
- アクセス
- ・法隆寺・南大門より、徒歩約16分
・JR法隆寺駅より 徒歩約30分