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斑鳩を巡る
当麻街道やすらぎの道
斑鳩を歩いていると、古代のミステリーや業平のロマンといった、さまざまな伝承に出会います。法隆寺から当麻寺への信仰の道には、 当麻街道の古い道標や石仏が当町南の方に残っており、 条里制の田園風景なども見ることができます。
徒歩1分約80m
徒歩1分約80m
徒歩1分約80m
古い標識
法隆寺参道の辻角にあったイブキの大木は、、老木のため伐られ地上2mほどが残っています。また、その下ある道標には「いせ たわら本… 京 郡山 なら… たつた 大坂…」と記されています。
徒歩1分約80m
徒歩4分約300m
ひきりじぞう(ままこじぞう)日切地蔵(継子地蔵) 〈法隆寺周辺エリア〉
日切地蔵は、斑鳩町役場前の国道の向かい側の民家の間にあり、継子地蔵ともいわれています。このお地蔵さまは、元はもう少し西の旧街道筋にあったようですが、明治の中ごろ今の場所に移されました。
小林一茶の『おらが春』には、このお地蔵さまのことが書かれています。
むかし、継子が母親にいじめられ10日ほど食事を与えてもらえませんでした。そんな折に『お前、あの地藏さんに飯を食べさせたらお前にも食べさせてやる』と、言われたので継子は一心不乱になって『どうかお地蔵さま、ご飯を食べてください』と哀願しました。すると不思議なことに、お地蔵さんが大きな口を開けて、むしゃむしゃとご飯をおたべになりました。これを知った継母の邪心も急に改まり、以後は、継子を実の子と同様にかわいがったということです。
徒歩1分約80m
徒歩4分約300m
条里の森・説明板
中央体育館の西北隅ゲートボール場の南に、奈良県が建てた「条里の森」に関する説明板があります。
徒歩8分約600m
徒歩8分約600m
条里制の遺構
条里制は日本古代の区画割制で、おおむね郡ごとに耕地を碁盤の目のように区切りました。この辺りの田園はこの区画をよくのこしています。
徒歩10分約800m
梨畑
斑鳩町南部の三代川の下流辺りの田園の間に、梨畑があります。春には、梨の花が咲いています。
徒歩20分約1.3km
断恨碑(融念寺境内)
江戸時代に、私財を投じて排水路を掘り、幕府の許可なく工事したかどで処刑された、斑鳩目安の代官・助宗を偲び、地元の人によって建てられた石碑があります。
徒歩20分約1.3km
徒歩2分約150m
徒歩2分約150m
いかるがおおつかこふん斑鳩大塚古墳 〈小吉田・五百井周辺エリア〉
昭和29(1954)年に行われた、墳丘上に設置する忠霊塔(揮毫者:法隆寺第124代管主・佐伯良謙師)の建設工事の際に、埋葬施設が発見され、古墳であることが判明しました。その後、平成25~29(2013~17)年に、奈良大学と斑鳩町教育委員会が共同で調査を行った結果、直径43mの円墳で、東側に幅約11.5m、長さ約3.4mの張り出し部をもつことが確認されました。さらに、幅8.9m、深さ約80㎝の周濠をもつこと、円筒埴輪や形象埴輪が樹立されていたことも確認されており、5世紀前半の築造と推定されています。
副葬品については、発掘調査で木棺西端から鉄剣・鉄鏃が確認されました。また、正確な出土地点はわからないものの、棺中央に斜縁二神二獣鏡・短甲・頸甲・肩甲、東端に四獣形鏡・管玉・石釧・筒形銅器が位置していたとされています。