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聖徳太子は、西暦574年2月7日に、現在の奈良県明日香村で誕生しました。
「聖徳太子」という名は、後世の諡号であり、本名は「厩戸皇子(うまやどのみこ)」だったとも言われています。
皇族として生を受けた聖徳太子は、年若いころから非常に英明であり、592年に即位した我が国初の女帝である推古天皇の摂政となり、日本の政治の中枢として活躍しました。 特に、個人の才能によって役人の位を授ける「冠位十二階」、わが国最初成文法といわれる「十七条憲法」の制定や、遣隋使の派遣をおこなったことで、よく知られています。
また、伝来してきたばかりの仏教を篤く信仰し、仏教興隆の象徴となりました。
※諸説あります
574年
587年
593年
594年
601年
603年
604年
605年
607年
615年
620年
622年
623年
643年
645年
※諸説あります
聖徳太子が薨去された後も、日本における仏法の開祖として、仏教の開祖の釈迦になぞらえられてきました。また、末法思想を背景に、平安時代に急速に太子信仰が広まっていき、太子を観音菩薩の化身とする信仰が生まれました。そして、その頃編まれた伝記に基づき、絵画「聖徳太子絵伝」や太子像(二歳像・孝養像など)が、各地で製作されました。
愛馬の黒駒とともに |
一度に十人以上の |
二歳の時に |
三歳の時に、父・用明天皇より |
605年、聖徳太子は斑鳩宮に移り住み、続いて607年には、法隆寺を建立しました。
当時、都があった飛鳥を離れ、斑鳩の地を選んだ背景には、外交戦略を重視していた太子が、遠洋航路の拠点となる難波津に出やすい、雄大な大和川の水運を利用できるこの地を選んだのではないかとも言われています。
そして太子は、南西に斜めに連なる「太子道(筋違道)」を、舎人の調子丸とともに、愛馬の黒駒に乗って、斑鳩から都のある飛鳥まで通ったとも言われています。
このように、推古天皇の摂政として大活躍していた壮年期から薨去されるまで、太子が住まわれた斑鳩の里には、太子の痕跡が数多く残っています。
太子の面影を偲びながら、斑鳩の里をごゆるりと巡ってみてください。